ひたすらに幸せで 輝いていたあの頃
あの時に戻れたら……と
一体何度 希(ねが)った事だろう
-WeaponMaster-
一言で言えば、幸せな家族だった。父親は物心ついた頃にはもういなかったが、気丈で気立ての良い母親のお陰で、少年は何不自由なく暮らしていた。二歳年の離れた弟もいた。少年に比べて大人しく、少し気も弱いけれど、本当に優しい子で。自分を慕い尊敬してくれている弟を、少年はとても可愛がっていた。村の人々はそんな少年達家族を優しく受け入れ、そして支えてくれていた。
本当に幸せだった。
──あの、忌々しい病を発症するまでは……。
* * * * *
十歳を過ぎたある日、少年は自分の左手が赤黒く変色をしている事に気が付いた。母親にそれを見せると、すぐさま村長が呼ばれた。そして少年の左腕には、腕輪の様な『鎖』が付けられた。母親や村の人には「何があっても絶対に外すな」ときつく言われ、これが『鬼手』と呼ばれる病気なのだと説明された。
その変色した少年の左腕を見て、母親が凄く困ったような哀しそうな顔をしたのを、少年は今でも鮮明に記憶している。
* * * * *
あれから六年が過ぎた。
左手はすっかり赤黒い『鬼手』に変色し、気付けばその変色は肘の方へも広がっている。最初に変色を見せた左の指先は、どす黒いような気持ちの悪い色に変わっていた。こんな腕になっても、母親と弟は、それまでと変わらず接してくれた。
鬼手の症状も、時折身体が疼く様な眩暈がする様な、そんな些細なものばかりだった。少年も、この病がとても恐ろしいものであることを忘れかけていた。鬼手の力の恐ろしさを話では聞いていたが、実際どんなものなのか全く知らなかったからだ。無智だった少年は、鬼手の力を軽く見ていた。
そんなある夜。
少年は身体の内部が熱く煮える様な凄まじい症状に襲われ、目を覚ました。ともすれば呼吸を圧迫するほどの狂おしい熱は、身体が燃えてなくなってしまうのではないかとさえ感じられた。身体の熱を少しでも冷まそうと、少年は家の外へ出ると井戸で水を汲み上げて何度も被った。それでも、熱が治まる事はなかった。熱さで意識が朦朧とする。
ふと、熱の原因が左腕の鎖にあるような気がした。鎖の辺りが一番熱く感じられ、その鎖のせいで熱が外に放出されずに自分の中を巡っているような錯覚に陥った。
──鎖を外せば…… この、鎖を外せば……
外すなときつく言われていたのは解っていた。しかし、それ以上に、この熱をどうにかしたかった。少年は力一杯、鎖を井戸の石にぶつけた。砕け外れるまで、何度も、何度も……。
ガツン
見た目よりも重い音をさせて、鎖が少年の足元に転がる。鎖を砕いた次の瞬間、一気に熱が外へ開放された気がした。気分が良かった。そしてそれと同時に、少年の意識は途切れた。
* * * * *
気が付いた時、少年は家の中に居た。朝の光が差し込む中、その優しい光が照らし出したのは──その光には似つかわしくない、血で真っ赤に染まった家具、床、壁。血液独特の鉄を含んだ匂いが、部屋に充満していた。
状況が飲み込めず、少年は動けないでいた。指先を動かす事も声を出す事も出来ず、視線だけ部屋を巡らせる。すると視界の端、左側後方……台所への入り口にぼんやりと何かが映った。少年はやっとの思いで、ゆっくりと顔を向け、その何かを見た。
それは、肉塊と化した人間だった。よく見ると血に塗れた着衣らしき物は、母親が着ていた物に酷似していた。動く気配はない。否、動くとは思えない程、原型を留めてはいなかった。その傍にもう一つ、小さな塊……。多分、弟のなれの果てだろう。
次の瞬間、意識を失っていた部分の断片的な映像が思い出された。
降り掛かる暖かい血飛沫、甘さをすら含んだ血の匂い、
身体を貫く時に纏わり付いた体温、
心地よくさえ感じていた断末魔。
確かにあの時、少年は家族を手に掛け、その行為と感触の恍惚感に浸っていた。よく見れば左腕は、鬼手の変色が判らないほど、血に塗れていた。
「──────────────ッ!!!!!!!!」
声にならない悲鳴と込上げて来る吐き気。一気に血の気が引いた。気が狂いそうだった。信じ難い事実から目を背けるように、少年は意識を手放した。
ひたすらに幸せで 輝いていたあの頃
何も知らなかった 無智で愚かな自分
そして 訪れた悲劇
悔やんでも 悔やんでも
家族は戻らない
もう二度と あんな過ちは犯したくない
どうか どうかこの力に打ち克つ強さを──
村の人は誰一人、少年を責めなかった。しかしそんな少年を引き取ろうとする人もまた、誰一人としていなかった。その為、少年は教会に引き取られる事になった。
その後、彼は冒険者となる。
忌々しい力を封印し、それでも尚強くあるために。